12月18日の昼下がり、学び舎 傍楽で、初めての「不登校のおはなし会」を開催しました。
その会のことを、facebookやwebサイトで告知したところ、驚くほどのアクセス数になっていました。それだけ、このことに関心のある人や、実際に悩んでいる人が多いということなんだと改めて分かりました。
この会を開くことになったのは、不登校の子どもさんを持つ、お母さんから相談を受けたことがきっかけでした。
私自身が子どもの不登校の経験者であることから、そのときの私の気持ちを聞いてみたいと言うことで、お話させていただきました。
そうすると、
「駒井さんに共感してもらって、本当に胸がすっきりしました。駒井さんの子どもさんの話を聞いて、希望が持てます。」と言っていただいたのです。
それまでは、自分の子どもの不登校についてのおはなし会は、1、2度やったくらいでした。でも、お母さんの話を聞いて、これは絶対にやらないといけないなあと思ったのでした。
不登校のおはなし会には、お母さんたち以外に、不登校経験者で、現在不登校の子どもたちに関わる仕事をしている人や、4年間引きこもりの後、NPOの代表として、通信や定時制の高校生向けに「働く」を考える授業をしている人も参加してくれました。
また、参加者のお母さんの中には、不登校を乗り越えた自分の話が役に立てばと、来てくれた人もいました。
まずは、私の2人の子どもの不登校から、その後の20年間のことをお話して、そのあとお母さん自身の、ぶっちゃけをしました。
渦中のお母さんたちからは、お父さん(ご主人)が娘の不登校を受け入れてくれなくてしんどい、どう子どもと接したらいいのかわからない、これから先がどうなるのか不安などの声が上がりました。
一人ひとりの気持ちに共感したり、自分の場合はこうだったよと、お母さん同士がアドバイスしたりする中で、お母さんたちの気持ちもほぐれていきました。
最後には、また次も参加したいですと言っていただき、この会を開催して本当によかったなあと思いました。
私は話を聞きながら、自分が渦中のときに1ヶ月に1回、お母さんの会に参加して、気持ちを助けてもらったときのことを思い出していました。
「この人たちは、私の気持ちを分かってくれる」
答えがみつからなくても、ただ理解してくれることが救いでした。
今回やってみて、お母さんが共感し合えることはもちろん、これからは、それにプラス、不登校の捉え方を学ぶことも必要だと感じました。
最近、私は不登校の子どもは、実は学校へ行かないという選択をとおして、この日本の教育がおかしいと、警鐘を鳴らしていると思えるのです。
今回参加してくれた不登校経験者の人は、「別にいじめられた訳でもなかったが、学校の教室のあの箱に入るのが、不自由で窮屈な感じがして、どうしてもしんどくて行けなかった。ずいぶん後になってから、それが学校へ行きたくない理由だったと気づいた。」と話してくれました。
結局、その人はその後、今の学校のスタイルとは違う、その子のペースに合わせた自由な学校を親が見つけてくれたそうで、転校したことで、また学校に行く気持ちになったとのことでした。
また、同じように、学校の空気に違和感を感じる人の話を聞いたことがあります。その人はみんなが同じことをして、やりたくないことをやり続けていることが、気持ちが悪くなって耐えられなくて、学校に行かなかったそうです。
そう言えば私の娘も、本音を話さない、いい人を演じている優等生の集団に違和感を感じて、自分の居場所ではないと思ったと言っていました。
学校が合う子もいるでしょうけど、反対に学校が合わない子がいてもおかしくないと思うのです。
子どもが自分の気持ちを無視して、行きたくない学校へ行き続けることの方が、危ないと思うのです。
ある意味、自分の気持ちに蓋をしないで正直に生きているからこそ、学校へ行かない選択をしていることもあるんだと思います。
不登校は生き方のひとつのあり方で、より自分らしく生きていきたい子どもの選択なんだと思います。
不登校を経験した人が、その後、イキイキと自分らしく生きていると聞くことも結構あります。
うちの子ども2人も、「はやめの挫折がよかった。なんとかして生きていけると思える強さが身に付いた」と言っています。
世間の価値観に振り回されずに、自分の気持ちに正直にやりたいことをして生きている子どもの姿は、私にとっては本当に嬉しいことです。
しかしながら、私自身、そんな捉え方ができるようになるまでには、かなり時間がかかりました。
最初は不登校が悪いことのように思っていましたから。それが、苦しかったんです。
学校へ行かないということは、ひとつの生き方の選択であると捉えられれば、どれだけ楽だっただろうと思います。
そして、その時に子どもが選ぶことができる、いろんな選択肢が用意されていれば、子どもも楽だったろうなあと
思います。そのことは、ずいぶん後になって娘が言っていました。
今、少しずつ選択肢が増えて来ているようですが、まだまだ少ないです。子どもがのびのびと自分らしく居られる学校や居場所が、もっとたくさんできて自由に選択できるようになれば、いいのになあと思います。
そしていつか、親が「私の子どもは学校へ行かない選択をしています」と、普通に言え、「ああそうなんですか」と聞いた人も普通に受け止める社会になれば、いいのになあと思います。
それには、不登校を経験した人や、乗り越えた親が勇気を出して、自分の体験を話すことが必要だと思うのです。
学校へ行かない選択をしても、ちゃんと生きていけることが分かれば、親も子どもも苦しまずに済みます。
私はこれから自分の経験をできるだけ話す機会を作っていき、微力ながら、お母さんや子どもさんのお役に立てるように、声を上げて行きたいと思います。
もしこれを読んでいただいた方で、経験のある方は、ぜひお力を貸していただきたいです。
未来を支える子どもが、1人でも自分らしく生きられるように。
(主人・駒井亨衣)