4月16日の「不登校のおはなし会」で、お母さんたちにお話させていただきました。
ひとつ前のコラムでもあった「心の不登校」についてです。
僕自身は、小学4年生から小学6年が心の不登校だったなあと文章を書きながら振り返っています。
そんな状況だった子どもの頃の僕が、親に対して何を感じていて、どんなことを考えているのか。
当時を思い出しながら、お話させていただきました。
とはいえ、色んなお母さんたちの話を聞くのはあまり無かったので、自分自身も考えさせられました。子育てをするお母さんも大変なんだと。不安でいっぱいになることもあるんだろうなと。
僕が伝えたかったのは、「承認してあげてほしい」ということ。
一つは、お子さんを承認すること。
もう一つは、お母さんたちが自分自身を承認することです。
僕の母は「こんな人になってほしい」という気持ちがあって、一生懸命に子育てをしてくれました。
母が昔、やらなくて後悔した習い事をさせてもらったり、できなくて後悔した受験勉強ができる環境をつくってもらったり。そして、「たくさんの友達と遊ぶような明るい子どもに育って欲しい」という想いがあることを、子どもながらに感じていました。
だから、そんな子どもであることが当たり前だったんです。
でも、そういられなくなってしまったときから関係性が変わってしまいました。
小学校5年の転校をキッカケに、友達関係がうまくいかず、ずっと学校に行きたくなかったです。
行けば行くほど、自分が嫌いになっていきました。
母親は「こんな風になってほしい、こんな子であるはず」。
僕は、「母親が望む子どもにならないといけない、そうならなきゃ」。
それが、現実と理想にギャップが出た時に、ありのままの自分というのは認められていないと感じて、それがあって、自分が価値ある存在だと思えなくなってしまいました。
学校に行っていても辛いことはあるし、学校に行けなくて辛いこともある。
一方で、学校が楽しいと毎日行っている子も、色々います。
そこに良い、悪いはないと思うんです。
お母さんたちの声を聞いてみると、お子さんの心配をされていたり、学校の先生、近所づきあい、昔の友達・・・
色んなしがらみがあることを、改めて知りました。
色んなところから評価されたり、多分、「誰々の子はこんなで」みたいな話もたくさん出てくるんだと思います。
僕は、そんなことどうだって良いと思います。
子育てってすごく難しいだろうし、経験してないことだったらなおさらです。
だから例え、うまくいかないことがあるとしても、そんな自分でも良いんだと受け入れてみても良いのではないでしょうか。
そこからお子さんのことも、“こうあるべき”ではなくて、“そのままで良い”と思えると思います。
子どもなんて勝手に育っていきますから。きっと。
まずは、そんな風に自分の心を軽くしてあげるところから、はじめてみてはどうでしょうか。
心が軽くなるような居場所は「傍楽」にはあるので、ぜひ足を運んでみてください。