今回のおはなし会は、娘がゲストで自分の経験を話してくれました。
娘の不登校の期間は、高校1年から2年間でした。
その時からもう20年近く経ちました。
けれども、娘の話を聞いていて、ついこの前の話のように思えるくらい鮮明に、そのときのことが蘇ってきました。
娘が話してくれたことの中には、初めて聞くこともありました。
その中で特に印象的だったのは
「明日は学校に行こうと思って寝るのですが、起きると体が動かなくて行けないのです。その自分にがっかりしてしまって、自分はだめだと思って、しんどくなっていました。
それに、親が自分のことで悲しい思いをしていることが本当に辛かったです。
できることなら学校に行きたかった。でも、どうしようもなかったんです。」
と話してくれたことです。
そんな風に思っていたのかと思うと、当時理解してあげてなかったことが悔やまれました。
誰も味方がいない。
(そのときは私も娘の敵になっていました)
たった一人で辛い気持ちに向き合って、どんなに不安だっただろうと思いました。
お母さんたちの中には、涙を拭きながら娘の話を聞いている人もいました。
私もその中のひとりでした。
子どもの本当の気持ちが分かるには、ずいぶんと時間がかかりました。
自分が正しくて娘が間違っているというところに立っていたとき、娘を責め続けていました。
「自分の人生がどうなるかわからない。どこにも自分は属していない。」
誰よりも娘が一番不安だったはずなのに、私は自分のことしか考えていなかったのです。
改めて聞く娘の言葉がひとつひとつずっしりと心に沈んでいきました。
当時の私は、何にも娘のことを分かろうとしていなかったなあと思いました。
私が「もう生きていてくれていたらそれでいい」と心の底から思えたときに、不登校が終わりを向かえました。
それは、私が自分の正しさを手放して娘のありのままを受け入れた瞬間でもありました。
その後娘は、高校を中退し、大学に行って英語を学びました。
留学をしたり、英語を使って仕事をしたり、やりたいことを次々とやり、本当に楽しそうでした。
そして現在は、カナダ人の夫とカナダで暮らしながら、カナダに移住してきた日本人のための居場所づくりをしています。
娘は最後にお母さんたちに
「子どもの話をそうか、そうかと聞いてあげて欲しいです。
お母さんの正しさを押し付けないで、寄り添って欲しい。
そして信じて待ってあげてください。」
と伝えていました。
こうやって娘と対談できたことはとても貴重な経験でした。
娘も「話すことで自分のことを振り返ることができて本当によかった」と言っていました。
不登校の時間は、娘にとっても私にとっても必要な時間だったと思えます。
なぜなら、そのことでお互いがひとりの人間として尊重することができる関係性を手に入れたからです。
それは大きな大きな宝物です。
(writer:主人・駒井)