コラボさせていただいたNPO法人D.Live 副理事 得津秀頼さんからのレポートです。
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こんにちは、傍楽仲間たちの得津(とくつ)です。
私は、毎週火曜日にこちらの学び舎傍楽をお借りして、
フリースクールを運営しております。
(詳しくは学び舎傍楽ホームページの「イベント紹介(リンク)」をご覧ください)
フリースクールで不登校の子どもたちと日々関わっていますと、
迷いや葛藤が出てくるんです。
「そろそろ勉強の話をしたほうがいいんだろうか」、
「もっと別の関わりのほうがいいんじゃないか。」などなど。
こんな葛藤は、もしかしたら不登校のお子さんがいる保護者さんたちも
近しいものをもっているんじゃないだろうか。
そうだとしたら、この葛藤と私たちはどう付き合っていけばいいんだろうかと思い、
学び舎傍楽主人の駒井さんに「ぜひ一緒にトークセッションさせてください」と
連絡をして、11月8日(日)のおはなし会が実現しました。
「子どもの自己肯定感と複雑なわたし」をテーマに、
駒井さんにはお子さんが不登校だった当時をふりかえってもらいながら、
どんな気持ちや迷いがあったのか。その迷いと、
駒井さんはどのように付き合っていったのか。
不登校について勉強したことや、
参考になった図書の紹介などをお話いただきました。
ーー子どもが不登校になって2、3ヶ月経った頃に、
不登校の親の会に参加しました。
そこで「子どもの不登校は何年もかかる」と言われたときは本当に衝撃でした。
いつまで続くんだろうと、真っ暗なトンネルにいるような気持ちでした。
けれど、その会の人たちはみんな温かくて、私は毎月その会に通っていました。
ーー子どもを信じることが何よりも大切です。
子どもは放っておいても大丈夫なんです。それよりも自分。
親の自分に目を向けていきましょう。
私の子ども達は成人してずいぶん経ちます。
でも、本当の意味で不登校になった当時の問題が解決したのは最近かもしれません。
二人いる子どものうち、娘との関係がよくなったのは最近のことです。
娘は海外で暮らしていますが、何年か前までは娘が帰省するたびに
「あのときはこうだった」「あれがイヤだった」と言われてきました。
ですが、ここ最近は「お母さんの気持ちもわかる」なんて言ってくれるようになったんです。
それは自分も、自分自身について理解を深めようと勉強をし始めたことが大きい気がしています。
深い自己理解をもっと早くにしていれば、当時の子ども達への関わり方も
違っただろうなと今は思います。
私のまとまらない質問に、駒井さんはこのように1つ1つ丁寧に答えてくださいました。
二人のトークセッションのあとは、みなさんとの座談会。
座談会では、子どもとの関わりだけでなくお父さんとの関係についても
話題がおよびました。かなりデリケートな話題ですので詳細は書けないのですが、
子どもが不登校になり、どうしていいかわからない中で、
パートナーの理解を得られずに、自分自身が孤独感でいっぱいになるというのは、
不登校に関する課題の中では珍しい話ではありません。
だからこそ、近所の人も家族もいない場所で自分の気持ちを正直に
打ち明けられるというのは、本当に大切な時間です。
おはなし会におられた方の一人が、会の最後でこのように話していました。
「不登校のおはなし会や親の会も、できればいろんなところに行くのが良いと思っています。
私の中では、得津さんが滋賀でされている会は子どもの気持ちを知るためのところ。
傍楽では、自分自身の気持ちを大事にするところと、使い分けています。」
少し話がそれるのですが、私は滋賀県でもフリースクール運営や
不登校のおはなし会を開催しています。
この方がおっしゃられたように、滋賀で私が開催するおはなし会では子どもへの対応や、
各回のゲストとの交流が中心です。
今回のおはなし会のような、家族関係や親としての自分の気持ちが
話のメインになることはあまりありません。
ですので、親の私の気持ちが片付かないだとか、子どもがどうこうじゃなくて
先に私の気持ちを吐き出したいとか、そういうときはぜひ駒井さんのところへ行くのが良いと、
トークセッションをご一緒させていただいて強く感じました。
不登校のお子さんを成人させたからこそ言えるお話や、
親としての自分を包み込んでくれるような空気感は、
不登校の子どもを育てた経験がある駒井さんだからこそ出せるんだろうなと思うんです。
子どもの成長にはたくさんの大人が関わることが大事なんて、
教育の分野ではよく言われます。でもそれって、
子どもだけじゃなくて親にとっても同じですよね。
悩んでいるのはわたしだけじゃないと思える。
思わず涙をこぼしても、みんなが温かなまなざしを向けてくれる。
自分の気持ちや思いを否定されずに聞いてくれる。
どれも素敵で価値のあることです。
この素敵なことが、傍楽にはぎゅっと詰まっていました。